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境 内

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本殿

明応年間(1492〜1500年) の火災により消失した社殿を同地に再建したのが、この本殿です。棟礼、墨書などから、永正12年(1515年)の造立、文禄、寛永、貞享、元禄、文化、明治、大正、昭和年代の大小修理を経ていることが知られています。
三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、一間向拝付柿葺(一見こうはいつきこけらふき)の建造物で、棟礼四枚と共に昭和33年5月14日国の重要文化財に指定されています。

 

本殿
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拝殿

入母屋造妻入茅葺・桁行八間・梁間五間。慶長19年(1614年)講堂(拝殿)建て替え、元和6年(1620年)拝殿修理の記録があります。寛保年間(1741〜43年)の火災で拝殿消失し、宝暦5年(1755年)に再建されたのが現在の拝殿です。
仏寺伽藍の様相を呈し、入口部、前室、後室に3分割されています。
平成6年7月22日、糸魚川市(旧能生町)文化財に指定されました。

 

拝殿
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秋葉神社

​享保12年(1727年)に再建され、更に天保13年(1842年)に再建。平成20年に新しく再建されたものが現在の建物です。明治維新までは薬師如来を祀る薬師堂でありました。明治維新の神仏分離の際、薬師如来は光明院に移されました。秋葉神社の石本社・石祠は、本殿敷地内の本殿向かって左の空き地にあります。
 

秋葉神社
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社務所

神社の庶務管理の建物で、春季大祭の際には舞楽練習場や稚児の合宿場とし使用されています
 

社務所
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御旅所

神輿殿とも呼ばれており、大祭の際に使用する3基の神輿を収蔵しています。大祭当日は楽屋として使用され、舞人はこの御旅所から橋掛を渡り、水舞台へ向かいます。
 

御旅所
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水舞台

水舞台は春季大祭が行われる4月24日に先立ち、4月18日に池の中に建てられる仮設の舞台です。舞台上部には水引幕が張られ、舞台腰・橋掛りには波の模様(青海波)の腰幕が巡り張られます。
​舞台の一部には江戸時代の部材が現在も使われています。

 

水舞台
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宝物殿

聖観音立像をはじめとする文化財を保管している施設で、国の重要有形民族文化財をはじめとする文化財が合計161点収蔵されています。宝物殿は一般公開されており、見学なども可能です。
 

宝物殿
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尾山

尾山

白山神社の裏山は神社の境内で、権現山あるいは尾山と呼ばれています。尾山は地域の人々の篤い信仰心によって守られ、一木一草をも大切にされ、数百年来の自然が保たれてきました。
標高は90m、面積は約3.5ヘクタールあり、対馬暖流の影響で暖地性樹種が多生し、寒地性樹種も混在し、北越海岸地方の植物分布の特徴がはっきり現れているとても珍しい林相です。
また、本州では限られた地域にしか生息しない天然記念物「ヒメハルゼミ」の本州最北端の生息地でもあります。
​尾山は「能生白山神社社叢」として、昭和12年12月21日天然記念物に指定され、また、昭和17年10月14日「能生ヒメハルゼミ発祥地」としても天然記念物に指定されています。

 

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汐路の鐘碑

汐路の鐘

「汐路の鐘」の名称由来についての文面が刻まれています。
岡本氏が文政5年(1822年)に建立しました。
「汐路の鐘」は、明応8年(1499年)能登園仲居浦(現穴水町)で鋳造されました。明治初年、廃仏毀釈で破損され、約三分二高で上下に割れる現在の姿になりました。「汐路の鐘」は梵鐘として、昭和51年3月31日新潟県文化財に指定されています。芭蕉が奥の細道行脚の途次能生に宿泊(元禄2年1689年)した際、この鐘の話を聞き、詠んだ句がこの碑に刻まれています。
  「曙や霧にうつまくかねの聲」

(詳細についてはリーフレットをご参照ください。)
 

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